@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00037299, author = {岡崎, セツ子}, journal = {お茶の水地理}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 紀要論文, 三陸北部の海岸付近については,地震・地質の面では古く明治年間より調査がすすめられている。また宮古町以北に海岸段丘が連なるということは江原真伍氏(1)(1911年)が指摘した後,地形・地質の両面で注目されてきた。田山利三郎氏(2)(1926年)は,八戸~釜石間の海岸付近の地形をスケッチすることによって,地形の紹介を行なっているが,明らかに海岸段丘とみられる地形の他に,宮古付近に段丘状の丘陵部が標高80m前後及び40m前後に存在することを指摘している。また釜石町付近の標高100m及び200m前後の平担な面が,山地の定高性によるものかも知れないということを示唆している。さらに(3)(1931年)海岸段丘に就ては八戸~釜石間の段丘を六段に区分し,北部は段丘の数が多く,野田湾以南では野田断層によって段丘の数は減少し,一・二段となること等から,宮古段丘形成後は北部が順次隆起し,隆起速度が大であること等を論じている。今村学郎氏(4)(1928年)は旧汀線の高度と台地の幅とは密接な関係があり,海岸段丘が撓曲運動に基づくものであることを述べている。佐々保雄氏(5)(1932年)は久慈地方の地質及び地形について論じている。近年には中川久夫氏(1961年)が海岸段丘とその構成物質について記載しており,米倉伸之氏(1966年)は陸中北部について海水準の変化との関係から見た地形発達史を述べている。三浦修氏(6)(1968年)は,陸中南部の海岸段丘等の地形とリアスの発達との関係について述べている。本稿では,北上山地の北半部の東方,海岸付近の地形についての考察を試みた。}, pages = {27--38}, title = {三陸海岸の地形(献呈論文)}, volume = {11}, year = {1970} }