@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00039037, author = {林, 綺雲}, journal = {言語文化と日本語教育}, month = {Jul}, note = {application/pdf, 紀要論文, 私は台湾の政治大学で三年生の「日本名著選讀(一)」という科目を長年受け持っている。通常は日本の近代小説(多くは短編小説)を教材として学生に読ませている。この科目は学生の日本語のレベルアップを主な目的とする語学教育の一貫として東方語文学科日本語組のカリキュラムに組み込まれているものである。そこで、私はいつも学生の日本語力のアップをめざし、日本の文学作品の文章を正しく読みとれることを念頭において授業を進めていっている。授業は中国語に訳しながら学生と一緒に作品を読んでいく。これまで教材に使ってきた作品の中で夏目漱石の『坊っちゃん』(明治39年)では受動表現がかなり多く使われ、その使われ方には注目させられるものが少なくないことがわかった。そこで、『坊っちゃん』に使われる「れる・られる」表現(「行ける」のような可能動詞も含めた)をまず抽出し、「可能」「自発」「尊敬」「受身」の四つに分類した〔注1〕。「受身」と思われるセンテンスは223例中の124例で、数の多さでは四つの中で群を抜いているということがわかった。本稿では、『坊っちゃん』に見る受動表現の使われ方を詳しく考察し、併せて日本語教育を行う際の注意点なども取り上げて論じた。また、受動文の中に潜んでいる「迷惑」性にも言及した。}, pages = {73--86}, title = {『坊っちゃん』に見る受動表現についての一考察(水谷信子先生退官記念号)}, volume = {9}, year = {1995} }