@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00039078, author = {垂水, 千恵}, journal = {言語文化と日本語教育}, month = {Dec}, note = {application/pdf, 紀要論文, 1895年5月、日清講和条約の批准によって台湾は日本へ割譲された。その後第二次世界大戦の終結までの50年間、台湾は日本の領土として統治を受け続ける。割譲の直後の1895年7月、台湾総督府学務部長心得伊沢修二は芝山巌に芝山巌学堂を設置、台湾における日本語教育に着手し始める。1898年7月には台湾公学校令が公布され、台湾人生徒は公学校と称された初等教育機関で本格的な日本語教育を受けることになった。それが「国語」と「修身」を二本柱とした皇民化教育であったことは夙に指摘されているが、果たしてその教育を受けた台湾人がどのように「皇民化」されたのか、という教育の結果については従来あまり研究されて来なかった。本稿は当時の台湾人がどんな皇民化教育を施され、どんな皇民意識を刻印されたか、という問題を陳火泉という一台湾人作家が残した文学作品から探ろうとする試みである。}, pages = {1--9}, title = {日本統治時代の台湾人作家にみる日本語教育の影響 : 陳火泉を例として}, volume = {6}, year = {1993} }