@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00039565, author = {臺丸谷, 美幸 and DAIMARUYA, Miyuki}, journal = {人間文化創成科学論叢}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 紀要論文, 米国内において朝鮮戦争とは常に「忘れられた戦争」と認識されてきた(Robert Lentz, 1)。しかし、東アジアにおける朝鮮戦争の影響は多大であり、1950年代の米国―東アジア諸国の国際関係とその後の東西の冷戦構造の変換をもたらした。そして、地政学的に南北に分断された朝鮮半島の姿は21世紀の現代東アジアにおいて 尚、冷戦構造が継続していることを象徴している。本論は、1950年代の米国における朝鮮戦争の記憶の解明のため、ハリウッド映画がいかなる朝鮮戦争のイメージを構築したかを考察する。具体的には映画における民主主義的な米国像を補完するために登場する東アジア像に着目し、映画における日本と韓国との国家表象の分析を通して、ジェンダーとエスニシティが戦争のイメージ構築にいかに動員されたかを分析する。映画における国家像はジェンダー化され人種化された登場人物としてあらわれる。本論ではこの登場人物像を1950年代の米国・日本・南北朝鮮の政治的文脈の中で考察することで、映画表象から米国における朝鮮戦争像を読み解く。本論文の最終的な目的は、1950年代の東アジア情勢を背景とする、米国の東アジア支配への国家的欲望について、朝鮮戦争映画における東アジア人の表象から考察するものである。最終的に、日本と韓国の表象は、米国の支援国として巧みに配置され、朝鮮半島での米国の「警察行動」を支持するシナリオを作りだし、米国にとっての表象の欲望を満たすことに一翼を担うのである。, Figure 1,Figure 2を削除した版に差替え(2011.5.17)}, pages = {509--518}, title = {ジェンダーとエスニシティから見るハリウッドにおける朝鮮戦争のイメージ}, volume = {11}, year = {2009} }