@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00040402, author = {柳澤, 澄子 and YANAGISAWA, Sumiko}, issue = {2}, journal = {生活工学研究}, month = {}, note = {application/pdf, 紀要論文, 前書き(長谷部ヤエ.お茶の水女子大学教授)現在,大多数の人に着用されている衣服は既製服として工場で生産されており,人々はお金を払うだけで簡単に手に入れることができるようになった.この様になったのは,人が地球上にあらわれて以来の歴史の中でみると極く最近のことであり,日本では1960年代後半より徐々に既製服の種類や生産量が増加していった.それ故,長い年月,衣服を作ることは家庭の中で女性の重要な役割であり,それを通して結婚前の女子の教育を行ったのである.明治政府は各地に小学校を作ったが,当時,女子には読み書きは必要ないという考えが強いため,女子の児童は少なく,何とか少しでも多くの女子に教育を受けさせようとして裁縫の科目を加えることにし,先ずそれを担当できる教員を養成しなければならないということで,東京女子師範学校に裁縫,手芸の科目が設けられた.その後,技芸科が新設され,東京女子高等師範学校家事科,東京女子高等師範学校家政科と改称された.東京女子高等師範学校がお茶の水女子大学になった1年後,家政学部被服学科となった.この間,柳澤先生は本学教授として被服構成学の教育・研究に多大な功績を挙げられた.お茶の水女子大学家政学部被服学科は,理系の講座と文系の講座とで構成されていた.しかし家政学部が生活科学部に改組される際に,理系・文系おのおのの分野の基礎をそれぞれしっかり教育し,研究内容も深まるようにと,被服学科は生活環境学科生活工学講座と人間生活学科生活文化講座とに改組された.すでに被服学科においての研究成果は,家庭よりも産業へ反映される方向に移行していたが,この改組によりその傾向は一層強くなるであろう.このたび柳澤先生が平成11年開設のお茶の水女子大学歴史資料室のためにお書きになられた原稿を,生活工学研究に掲載させていただくことをお願いし,御許可を頂いた.生活工学に所属する方々も,改組される前までの長い間,どのような方々によりどのような教育が行われたかを知ることは意義あることと思う.}, pages = {2--8}, title = {お茶の水女子大学における「衣生活」に関する教育・研究(1881-1992)}, volume = {1}, year = {1999} }