@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00040940, author = {矢越, 葉子 and YAGOSHI, Yoko}, journal = {比較日本学教育研究センター研究年報}, month = {Mar}, note = {application/pdf, application/pdf, 紀要論文, 日本古代社会において物資供給の第一は市であったが、国家の基本法典である律令によって統制されたのは京に設置された東西市のみであった。この東西市は奈良時代(710-784)の史料群である正倉院文書中にたびたび登場しており、本稿ではこれらの史料を使って、当時の国家的な消費を支えた東西市の実態について考察した。まず、物資購入の様子から見ると、写経所およびその所属先である造東大寺司は、日々の食料や日用品を調達する場合だけではなく、事業に直接に関わる物品を入手する際にも東西市を利用していた。またある文書からは物資購入の約88%を東西市で行っていることが判明する。これらから、官司が事業を遂行する上で、東西市は必要不可欠な存在であったと言える。さらに、換金(物資販売)の様子からは、官人たちがそれら換金作業に慣れている様が見て取れる。これは官人たちに支払われる給与としての繊維製品が必ずしも効率的に物資購入に利用され得ないことを示しており、官人たちの日々の生活にとっても東西市は欠かせない存在であったことが言えるであろう。日本の古代国家は全国から税として現物を徴収し、それを官司や官人に分配することで国家を運営していたが、必要な物資の全てを税でまかなうことはできず、その不足分を調達する場として京の東西市が機能していたとされている。正倉院文書の記載はそれを如実に表わしているのであり、またその際の官司・官人の側の創意工夫の実態も伺い知ることができるのである。}, pages = {137--141}, title = {The Tozai-ichi Described in the Shosoin Documents during the Nara Period (The 6th Consortium on Global perspectives in Japanese Studies : International Workshop "Consumption and Consumerism in Japanese Culture")}, volume = {8}, year = {2012} }