@article{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00040942, author = {徳重, 公美 and TOKUSHIGE, Kumi}, journal = {比較日本学教育研究センター研究年報}, month = {Mar}, note = {application/pdf, application/pdf, 紀要論文, 本稿は、近世日本において活躍した儒者・荻生徂徠(1666-1728)の立場から社会における消費活動、特に貨幣による物の消費および労働力の消費について論じる。儒学者という立場から政治を論じることに熱心であった徂徠が、江戸に見た克服すべき課題が、巨大な消費都市としての江戸の姿と、そこで生活する人々の困窮であった。徂徠が見た江戸は、貨幣経済の活発化により、金さえあれば何でも手に入るという社会の仕組みに支配されているという様相を呈していた。それによって変容しつつある社会全体の「風俗」に、徂徠は「困窮」の原因を見る。すなわち、貨幣経済の活発化は人々に多大な利便性をもたらしたが、それが逆に自然資源の有限性に対する無頓着(「奢」)を誘発し、長期的な視野を失ってあらゆることをその場しのぎに金で処断していこうとする狭量な人間性を育て(「せわしなき風俗」)、人々を結びつけていた「恩義」や「信」を希薄なものにしたと捉え、これが生活の困窮の根本的な原因であると考えたのである。このように分析する徂徠の目指す社会とは、個々人がそれぞれに特有の長所でもって関わり合い助け合う共同体的社会である。そしてそこでは、便利のために物や労働力を消費するよりも、共同体を構成する人々を養い、育てることが主眼とされる。このような徂徠の社会観を通して、儒教の「道」における「消費」の意味を考察する。}, pages = {147--152}, title = {The Consumption in Monetary Economy and the Confucian "Way(道)" : From OGYU Sorai's Viewpoint (The 6th Consortium on Global perspectives in Japanese Studies : International Workshop "Consumption and Consumerism in Japanese Culture")}, volume = {8}, year = {2012} }