@techreport{oai:teapot.lib.ocha.ac.jp:00006528, author = {石田, 安志 and ジャフロ, ローラン}, month = {Nov}, note = {application/pdf, 研究報告書, 17世紀から18世紀にかけての古典的ヨーロッパの哲学者は、倫理と宗教の関係に関する問いについて深く考察してきた。そのために、彼らは同じ道具立て、すなわち、自然法という概念(つまり根本的道徳規範の概念)を用い、それはさまざまな仕方で解釈されはしたが、道徳生活と啓示の関係を精密化するのにしばしば役立ったのであった。西洋との対比で東洋(一般的に言って未分化で遠くにあるものと思われていた東洋)を位置づけるのにも役立ったのがまさにこの自然法の概念であったことは、驚くべきことである。この発表のテーマは、キリスト教的である哲学の内部から作り上げられた自然法の概念が、どのように西洋的伝統とその外部との関係を考察するのに等しく使われたかを示すことである。ここで非常に重要な問いは、自然法が、どの程度、様々な古い伝統の中や、とりわけ旧約聖書とキリストの教え(マタイ福音書VII12)の中にみられる道徳黄金律(la règle d’or)(「他人にして欲しくないことはその人にするな。他人にして欲しいことをその人にせよ」)と同一のものなのかである。とりわけ注意を引くのは、キリスト教内部での宗教的な倫理と思想を述べるだけでなく、キリスト教哲学や異教的な智慧を語るためにも自然法の概念が使われたことであろう。自然法の概念に、とりわけ黄金律に結び付けられた特殊と普遍のあいだの関係に、注意を向けたいと思う。}, title = {黄金律―特殊と普遍}, year = {2006} }